【読者寄稿】今川家の研究 ②


 今川家は源氏の流れをくむ足利家の一族であり、鎌倉時代に吉良(三河)の荘に移り住み吉良家を興し、吉良長氏の子・国氏が近くの今川の地(現愛知県西尾市)に分家したことから始まる。したがって今川家の初代は国氏だが、子の基氏を経て孫の範国の時に遠江、駿河の守護となり現在の静岡県入りをするため、範国公を守護大名今川家の初代とするのが一般的である。以後、2代 範氏公・3代 泰範公・4代 範政公・5代 範忠公・6代 義忠公(義元の祖父)・7代 氏親公(義元の実父)・8代 氏輝公(義元の実兄)・9代 義元本人・10代 氏真(義元の実子)と繋がっていく。10代の氏真公のお墓が武蔵観泉寺にある他は一部未詳があるものの、ほとんどが静岡県内に所在している。しかもその多くが静岡市内のほか藤枝、島田、菊川など県の中部にあり、自ら現地に出向きお墓などを場所を確認しながら現地調査を行ってきた。

 余談であるが講義の中で、小和田氏が7代の氏親公に心酔しており、氏親公が葬られている静岡・増善寺に既にご自分の墓所を購入済みと伺い、大変興味深かった。氏親公の功績として現在放映中の【おんな城主直虎】でも紹介された『今川仮名目録33カ条』の制定であろう。『仮名目録』は義元によって『21カ条』を追加している。この目録は戦国大名の法律としても最も革新的で完成度が高いものといわれ、のちの武田家の『甲州法度』の制定にも影響を与えているという。寺の入口に『石碑』があり、《いいかえむ 四十あまりの年のをに とかぬ所の法のまことに》と刻まれている。《私は40歳を過ぎたが、仏の教えが未だ会得できないでいる。 どうしたら会得できるであろうか?まだまだ努力しなければならない。》の意とか。(つづく)

小林正孝

【バックナンバー】
今川家の研究①

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